奥飛騨だより

飛騨高山のみたらしだんご(2013.8月号)

2013年8月号

 青空の眩しい日々となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回、初めて奥飛騨だよりの記事を書く順番がまわり、たくさんの方に興味をもって読んでいただける投稿が 書けるか頭を悩ませていましたが、幸運な事に、私の妻の親類が高山で老舗のみたらしだんご屋(鍛冶橋のたもとの二四三屋)を やっています。
高山のみたらしだんごは結構有名なのですが、実際に、そのだんごが作られる過程や作っている 人の気持ちなど、なかなか知る機会が無いと思いますので、今回、是非紹介させて頂きたいと思い取材してきました。

 まず、この二四三屋ですが、創立昭和22年で名称 二四三屋(ふじみや)の名前の由来は、 妻の祖父 創業者の田村二四三(にしぞう)よりとったとの事です。 ちなみに奥飛騨だより(2013年4月号)で氷菓の記事がありましたが、氷菓の中にも二四三屋が描かれているそうです。
尚、現在みたらしだんごは、1本70円ですが、創立当初は、3本10円だったそうです。

 みたらしだんごの原材料ですが、米粉100%になります。この米粉もこだわったおいしい米粉を使っています。 (総原価の中で、原材料費が高い割合を占めているとの事でした。)
もち米は一切入っていないのですが、みたらしだんごには、粘り気があります。それは、昔からの製法なのですが、米をきれいに洗い、 陰干しをしてから米をすりつぶし、蒸し上げて、何度も何度もつく事でうまみと粘り気を出すそうです。
昔は、米を石臼で挽き、できた米粉を蒸し上げてだんごを1個ずつ成形し、串に刺していました。 その後、1個ずつ成形をするのに時間がかかる為、木枠にだんごをつめて成形する様になったのですが、 それでもたくさんの数を作る事は無理な為、現在は機械化がされています。

 この機械が米粉を蒸し、こねる機械です。
非常に高温になります。1日に何回も蒸し上げ作業を繰り返します。
蒸し上げた後、機械を綺麗に洗浄作業するのですが、この洗浄作業もかなり大変そうでした。

 蒸し上げた米粉(だんご)を別の機械の上部にセットし、串に刺さっただんごがでてくるところです。

 上記ででてきただんごは、どうしても形がよくないものがあるので、だんごが熱いうちに成形をしていく。 ここで出来上がっただんごは梱包され、鍛冶橋の店に届けられます。

 全国的にみたらしだんごは甘いたれがついているだんごを想像されると思いますが、高山のみたらしだんごは、 醤油ベースのたれです。二四三屋では、このたれは秘伝となっていて、創立時より変わらぬ味を守り通しています。 醤油味とよくいいますが、実は醤油だけでなく、いろいろな調合・配合をしていて、ただの醤油では、この味はでないとの事です。 (2回漬けて焼き上げるそうです。)

 現在、二四三屋は私の妻の叔母夫婦が継いで頑張っています。
叔母にいろいろな話を聞いたのですが、叔母は小学生の時から、だんご屋を手伝っていて店が忙しいと小学校に行けず、 重い荷物を背負いリヤカーを引いて、店をずっと手伝っていたそうです。
今も二四三屋は年中無休です。せっかく高山に観光に来て頂いたのに、 高山のみたらしだんご屋が休みで食べられなかったら申し訳ないという思いがあるといっていました。

 修学旅行で高山を訪れた今どきの学生が、みたらしをたべて「超うめー」と言っているのを聞くと疲れが吹き飛び、 頑張っていてよかったなと思うそうです。
 又、叔母は修学旅行でみたらしだんごを食べておいしかった、ありがとうと手紙と一緒に版画を作って送ってきてくれた物を 大事に飾っていて、宝物にしています。

 今回の取材を通して、観光客の多いこの高山市で一人の高山市民として、叔母の様に、おもてなしの心を忘れず、 観光客の方達に高山の良さを知って頂き、喜んで頂きたいと思いますし、又、海外からの観光客には高山(日本)に来てよかったなと 思って頂ける様な温かい心遣いができる人になりたいと思いました。

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