奥飛騨だより

白線流し

2015年3月号

まだ寒い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。 今回の奥飛騨だよりは「白線流し」のことを記載いたします。 1996年1月から3月まで、フジテレビ系列で放送されたドラマ「白線流し」(主演:長瀬智也・酒井美紀)で知名度はさらに上がりましたが、 自分自身長く高山に住みながら、一度も実際の白線流しを見たことがありませんでした。

まず、最初に白線流しについて少し説明させて頂きます。白線流しは岐阜県立斐太(ひだ)高等学校の卒業生で行われます。 この斐太高校ですが、岐阜県で2番目に歴史がある伝統校で、卒業生にはニュースキャスターの村尾信尚さんや直木賞候補になった小説家の米澤穂信さん(代表作:氷菓)を輩出した学校です。 ちなみに当社にもこの斐太高校の卒業生は数名います。白線流しは斐太高校の前を流れる大八賀川に卒業生の制帽の白線とセーラー服の白線を結び、 永遠の友情を誓いながら3年間の懐かしい思いを込めて流す伝統行事です。その始まりは定かではないそうですが、 昭和13年頃から卒業式の日に数人が各自ばらばらに白線を取って川に流し、その後だんだん大勢の卒業生が白線を流すようになり、現在の白線流しという行事に発展していったそうです。
今回の取材にあたりまして、勝手に写真を撮ったりしてはまずいと思い、斐太高校へ取材許可依頼の電話をしたところ、 教頭先生よりどうぞ、ご自由に取材してくださいと快く了承して頂きました。ただ、当日は民放各社も取材に来られますし、 たくさんの方が見学に来られますよとのアドバイスがあったので、事前に写真を撮るのに良い場所を下見に行きました。

こちらが、大八賀川です。
卒業生はこの仮設足場より白線流しをおこないます。川の流れは結構速いです。

3月1日(日)卒業式当日は在校生・卒業生の別れを惜しむかのように、雨となりました。 教頭先生のおっしゃっていたとおり、すごい人で、取材のカメラも多数きていました。

吹奏楽部の校歌演奏にあわせて卒業生が、校舎と大八賀川を挟んだ対岸に渡り整列しました。いよいよ白線流しが始まります。

在校生代表が贈る言葉を述べます。先輩から引き継いだことは必ず後世に引き継ぐと決意表明をされました。

在校生が対岸の卒業生へ惜別の歌を送ります。

卒業生団長4名の「友よ 試みに合崎橋畔に立ちて母校斐高を顧みよ・・・」 という惜別の辞に続き「巴城ケ丘別離(はじょうがおかべつり)の歌」を卒業生が歌います。 この曲は長らく作者不明で巣立ちの思いを託した歌とみられていたのですが、最近になって作者が判明し戦に赴く友を送る歌であったことが判明したそうです。

斐太高校のホームページでの記載では、作詞・作曲をした河内敏明さんは昭和20年旧制斐太中学の卒業生で、3年生のころから友の何人もが予科練などに志願していき、 彼らが軍服姿で校門のそばの合崎橋のたもとで直立不動の姿勢をとり、巴城(学舎)に敬礼する姿を教室の窓から眺め、強い感情に揺さぶられてこの詩を書きあげ、ギターで曲をつけたとのことです。
当時のことを「生と死が隣り合わせの青春でした」と記載されています。また、河内さんは、その後もこの歌が歌い継がれたのは、 歌詞に戦争を思わせるものがなく、また詠み人知らずというロマンのせいでしょうとのことです。

「巴城ケ丘別離の歌」が流れている中、卒業生が恩師への感謝の気持ちを大きな声で叫び、いよいよ白線が大八賀川へ流されました。 皆で白線を送っていきます。

今回、初めて白線流しを見学させて頂いて、このような伝統行事があることがすばらしいことだと感じました。 来年は惜別の歌を送った2年生が白線流しを行い、ずっと永遠に引き継がれていくことでしょう。伝統を継承していくことの大事さ、尊さを深く感じました。 卒業生は旅立ちの今日という日を永遠に忘れることはないと思います。永遠の友情を誓いあった斐太高校生の結束の強さ、 先輩・後輩の絆の深さを感じ、気温の低い寒い日だったのですが、心は温かくなった1日でした。

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