奥飛騨だより

猪谷関所館(2011.8月号)

2011年8月号

今回は私がいつも通勤路として利用している国道41号線の歴史資料が展示してある猪谷関所館をご紹介致します。
富山駅から弊社三井金属ユアソフトがある神岡町までは約50kmの道のりがあり、その中間にあたる約25kmの地点の富山県と岐阜県の県境付近に猪谷関所館があります。
はじめのうちは関所館の看板を見ると「道のりの半分くらいまで来たな」と思う程度でしたが、数年見ているうちにどのような歴史があったのか興味がわいてきていましたので今回訪れてみました。
又、この資料館の近くには高山本線の「猪谷駅」があり、かって神岡鉄道があった時の起点となっていた駅です。

猪谷関所館入り口です。
越中国(富山県)と飛騨国(岐阜県)を結ぶ飛騨街道の要所に置かれた西猪谷関所。
この関所に関する約二千点に及ぶ古文書が、猪谷関所館に保存されているそうです。古文書以外にも使われていた武具、用具や飛騨街道に縁のある物も展示されています。

人や牛が荷物を運んで関所を通っている様子の模型です。当時は2m弱程の道幅で牛が通るとほぼ道が埋まってしまう様子がわかります。
越中国からは主に「米」「塩」「魚」が飛騨国へ運ばれていました。特に「塩鰤」は飛騨国から信濃国へ運ばれ名前も【飛騨鰤】と呼ばれ、年越しには欠かせない魚となっていたようです。
富山では年越しに鰤を食べる習慣がありませんが、高山方面に住んでいる社員の話では今でも鰤を食べる習慣は残っているそうです。

実寸の60%で復元された番所の模型です。
西猪谷関所は番人の住まいと一体となったつくりの番所となっており、右側と左側の扉がそれぞれ住まいの玄関となっています。
橋本家、吉村家の両家が番所に常駐し代々番人を勤めていたそうです。

国を出るために必要であった過書(出国許可書)です。
出国は厳しく制限され、関所を通るには過書が必要でした。過書は紙に、名前・出国の理由・過書を発した人の印鑑が記載されています。
関所には印鑑帳があり、過書と照らし合わせて印鑑が違っていると通ることが出来ませんでした。発する人が変わってまだ印鑑の写しが届いていない場合でも通ることが出来ない厳しいものだったようです。
過書以外にも往来手形や木札といったものでも通行することができたようです。

今回は通勤で利用している道の歴史に触れてみました。
普段は何気なく利用している身近なものにも、いろいろな歴史が隠されているかもしれません。
これを機会に身近なものの歴史を探ってみてはいかがでしょうか、意外な発見があるかもしれません。

[住所]富山県富山市猪谷978-4  [TEL] 076-484-1007
<入館料> 150円
<交通アクセス>
JR高山本線 富山駅から約45分
      猪谷駅下車(特急停車)
バス    富山駅から約50分
      (普通)猪谷下車
自動車   北陸自動車道富山ICから約40分
      富山から25km
      高山から50km

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