奥飛騨だより

小萱の薬師堂(2013.7月号)

2013年7月号

 岐阜県には国宝の建物が3つ(美濃地方の多治見市に2つ、飛騨地方の高山市に1つ)あります。 飛騨地方の国宝は高山市国府町にあります「安国寺経蔵」で、既に2011年7月の奥飛騨だよりで紹介済みです。 では国宝に次ぐ重要文化財はというと県内に沢山あるのですが、 神岡町内に絞れば「瑞岸寺安楽院薬師堂」の1つで、薬師堂とは薬師如来を本尊とする仏堂のことです。

 神岡町小萱(こかや)にある薬師堂は、その所在地から「小萱薬師堂」と呼ばれています。 昭和49年の解体修理時の調査で、鎌倉時代建立の前身堂の部材を利用して室町時代初期に再建されたものであることが分かっています。 1300年代の話ですので確かに古いのですが、文化財的価値は何かと言えば、 岐阜県のホームページ に「この堂は方3間、入母屋造[いりもやづくり]、柿葺[こけらぶき]の小堂で、各柱は円柱になり、 柱頭には舟肘木[ふなひじき]をのせてある。 軒は一軒[ひとのき]、疎垂木[まばらだるき]で反りがあり中世の様式を残す重要な建物である。」と記載があります。 日本の家屋の専門用語が並んでいますが、何のことか分からないので、今回はこれをひも解いてみようと思います。

 まず「方3間(ほうさんげん)」です。一間(けん)は約180cmの寸法の単位ですが、この場合は建築物の外観の表現で柱間の数を表します。
間口(まぐち)の柱の間を「間」といい、奥行の柱間は「面」といいます。 例えば「七間五面」というのは、間口が8つの柱で柱間が7つ、奥行が6つの柱で柱間が5つという意味になります。 更に間の数と面の数とが等しい場合、「三間三面」を「方三間」といいます。写真で柱間が三つであることが分かります。

 「入母屋造(いりもやづくり)」の言葉は今でも普通に使われています。 屋根の形状で上部においては切妻造(長辺側から見て前後2方向に勾配をもつ)、下部においては寄棟造(前後左右四方向へ勾配をもつ)となる構造です。

 「柿葺(こけらぶき)」は屋根の作り方です。 「こけら」というと、新たに建てられた劇場で初めて行われる催しの「こけら落とし」を連想しますが、 「こけら」は木片のことで、建設工事の最後に木片を払うことがこけら落としの語源になっています。 小さな木片を寄せ集めた屋根です。左の写真の屋根の断面を見て下さい。

 「舟肘木(ふなひじき)」は船の形をした肘木です。 肘木とは柱の上にあり、柱の間に架ける水平部材である桁(けた)を受ける部材です。 舟を横から見たような形の肘木を舟肘木といいます。 柱が円柱になっているのも写真から分かります。

 「一軒(ひとのき)」「疎垂木(まばらだるき)」は垂木の並べ方です。 垂木は屋根の勾配に沿って並べられた屋根板をのせる部材です。 一軒の説明は二軒を先に説明した方が分かり易いと思います。 社寺建築では垂木が二段になっているものを二軒と呼びます。 桁から出ている垂木を地垂木、軒先の垂木を飛檐垂木(ひえんだるき)といいます。 二段の方が豪勢な感じですが、一軒はシンプルに一段ということです。 疎垂木は垂木を等間隔に並べるのではなく、まばらに並べることをいいます。 写真では分かり辛いのですが、屋根の中央の垂木間の間隔が端に行くほど少しずつ狭くなっています。 また上記の「柿葺」を説明した写真では、垂木が反り返っていることが分かります。

 「飛騨の匠」は都への物品納税の代わりに、労働力を提供する飛騨から都へ人材派遣することが始まりです。 仕事ぶりが評価され「飛騨の匠」の言葉が伝えられるようになりました。 派遣の仕事を終えて京都・奈良から帰って来た人々が、身に付けた建築技術で、皆の病気を直し安楽を得られるよう願いを込め、 薬師如来を納める薬師堂を建てたのではないでしょうか。

2013年の一覧