古川祭(ふるかわまつり)
2018年4月号
今回は、生まれも育ちも「古川町」のKKが地元愛に則り、お伝えいたします。
「古川町」は、アニメ映画「君の名は。」のモデルになった町で少し名が売れました。
4月といえば、春祭り! 子供の頃は、年間を通じて最大の楽しみでした。
古川祭は、毎年4月19日20日に行われ、絢爛豪華な「屋台行列」と勇壮な「起こし太鼓」が目玉行事で、1980年より国の重要無形文化財に指定され、2016年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。
私の住んでいる向町組は、「神楽台」を担当していて、屋根の代わりに大太鼓が上部に載っている2階建てオープンカータイプです。太鼓の両側に太鼓奏者が屋台上部の縁に腰かけて、落ちないように両足首を太鼓の柱に縛って固定させ、イナバウアーのようなエビ反りでアクロバティックに太鼓をたたきます。
それを屋台の中に乗って子供心に憧れて観ていましたが、羨ましさが嫉妬に代わって、縛ってある奏者の足を奏楽中にくすぐっていました。・・当然後で怒られます。
でも、毎年やめません。それは「次は俺がやるでよ!」という「古川やんちゃ」魂が根付いているからです。
時代背景などの文献につきましては、WIKIPEDIAを参考に見て頂きたいと思います。「荒城川への櫓引きずり落とし事件」や「○○○へ突入事件」など「古川やんちゃ」と名のついた気質がうかがい知れます。
しかし、皆さん。
「古川やんちゃ」は、年がら年中ではありませんのでご安心ください。
一年間、田畑の作業などを苦しいけど忍耐してやり通し、冬は長く、底冷えがして凍り、降り続く雪の除雪をしながら耐え忍び、この春の喜びの祭りの夜に、溜まったストレスが溢れ出でて、勇壮さをかもし出すエッセンスとなっているのです。
日頃は、大人しく無口ですけど誠実で黙々と仕事をこなす真摯な気質が特徴です。
付け太鼓
私は、「付け太鼓」で参加したときに、お酒の飲みすぎで演武中に上から落ちてしまいました。
しかし、下では数人の仲間が受け止めてくれて助かりました。
起こし太鼓の中で培われる「若者世代の結束による成長のモチベーション」と「壮年が力量を試して承認する若者への世代の継承」が、参加する男たちに社会的価値をもたらし、この地で永く続いている意味合いを見出したりします。
飛騨のお祭りは、高山祭の山王祭を皮切りに、各地域の祭りが続きながら、古川祭、神岡祭りと北上していきます。
このように日付をずらして順番に行われることに地域独特の文化があるようです。 子供の頃は、学校を休んででも親戚の祭りに「およばれ」してご馳走を頂き、皆で春を喜び「また一年頑張らんかよ」と励まし合い、今度は「およばれ」した先の親戚縁者を自分の地域の祭りに「よばならん」と言ってお呼びします。
親戚が多いと4月は毎週1~2回で月5~6回は祭りの宴会に参加することになります。
親戚同士なので顔ぶれはあまり変わりませんが、呼んでもてなし呼ばれてもてなして頂くことでその絆は強くなり、その人間関係は地域の絆となり、厳しい生活経済環境においても、笑顔を忘れず感謝を忘れない飛騨人の気質が養われてきたように思います。
現代では、仕事を優先することや核家族化していてもてなせないため、親戚縁者が一堂に集う様なことが少なくなりましたが、復活させたい「老若男女相交えたファミリーの祭宴=グレートパーティー」です。
現在50代以上の飛騨人は、およばれ経験者ですので、その心と飛騨の祭りをぜひ体験してみてください。 以上、KKが独断と偏見でお伝えしました。ごきげんよう
※飛騨弁の解説
次は俺がやるでよ・・・「次は俺がやるから、他の人は黙って見ていろ」という強い意志を含むニュアンスです。
古川やんちゃ・・・やんちゃ坊主の「やんちゃ」なので標準語です。
頑張らんかよ・・・「一緒になって頑張ろうじゃないか」という共感を含めたニュアンスです。
およばれ・・「呼ばれる」の言葉の中に、歓迎されて馳走になることを含めたニュアンスです。「お」は歓迎されることへの感謝を込めた丁寧語になっている。
よばならん・・「今度は逆に自分が相手を歓迎しなければならない」というニュアンスです。