奥飛騨だより

長良川ウォーキング

2014年9月号

さて、今回は私の自宅がある岐阜市からの情報発信となりますので、「奥飛騨だより」ではなく「美濃だより」になることをお許し下さい。 この春に禁煙をしたせいか、食事も美味しく、当然の結果として中年太りが順調に進化したこともあり、少し運動をしなくてはと思い、始めたのがお金のかからない「ウォーキング」でした。 自宅の近くに長良川沿いのウォーキングコースが整備されていることもあり、最初は鵜飼大橋(上流)と長良橋(中流)を一周する5.6kmプラス自宅までの距離のトータル6.5km程度を1時間強で歩いていたのですが、 中々体重の減少に繋がらないことから、更に距離を伸ばして、長良橋(中流)~金華橋(下流)の3.3kmをプラスして、合計約10kmを約2時間弱掛けてウォーキングをしています。 結構な運動量だと思っているのですが、消費カロリーの計算方法(Mets法)に従うと400kcal程度ですので、「おにぎり」もしくクロワッサン2個程度でしょうか。 食べない方が楽にダイエット出来そうな気がしないでもないですね。しかしながら、「継続は力なり」です。やり始めたのですから、暫くは続けないと。

長良橋の袂にある碑

長良橋の袂にある碑

コースのあちこちにある標識

コースのあちこちにある標識

夏場のこの時期は帽子・短パン・運動靴・サングラス・タオルと音楽を聴くスマホ、それに水分補給の為の小銭をポケットに入れてスタートです。 スタート時間は、真昼はさすがに日差しがきついので早朝か15:00頃のスタートです。

まずは、鵜飼大橋(上流)から下流に向かって左岸側をウォーキングです。
途中には「岐阜市上水道鏡岩水源地」があります。岐阜市は長良川の清流による、良質且つ豊富な地下水に恵まれ、岐阜市内の歴史ある家には井戸が多くあり、 今も生活用水として利用されているのですが、近代化に伴い、水道の必要性が叫ばれ、鏡岩水源地の伏流水を水源として「岐阜市上水道鏡岩水源地」は出来ました。 この施設の赤壁沿いを更に歩いて長良橋近くに来ると、長良川の洪水による決壊の歴史を示す身長を超える標識が立っています。道路右側の4~5m下に長良川が穏やかに流れています。 決壊時には6~7m程度水位は高くなったのでしょう。この長良橋付近は伊勢湾から 約50km上流にあるのですが、長良橋付近の水位は通常海抜15m以下と言われています。 伊勢湾に向けて海抜差が少なく緩やかな傾斜であることから、洪水時には水が引くのに時間が掛かるのがお分かり頂けるかと思います。 余談ですが、三井金属ユアソフト本社所在地の飛騨市神岡町の市街地の標高は約400m。ここを流れている高原川が富山県の神通川と合流し富山湾迄50km程度あり、日本有数の急流河川として知られています。
再び本題に戻ると、長良川沿いの堤防と取り付け道路の間を、洪水時のみ人工的に塞ぐ「陸閘(りっこう)」があちらこちら設けてあります。 この話だけでも先人の苦しみと知恵が多々詰まった洪水との闘いの歴史を知るには奥深いものがあるのですが、今日は先に進みましょう。

岐阜市上水道鏡岩水源地の赤壁

岐阜市上水道鏡岩水源地の赤壁

長良川の決壊の歴史

長良川の決壊の歴史

漸く長良橋左岸の袂に到着です。ここには、川端康成の有名な石碑が立っています。
ノーベル賞作家として有名な川端康成が暮らした神奈川県鎌倉市の自宅から、初恋の相手とされる伊藤初代さんと交わした書簡計十数通が見つかったとのニュースが本年7月に話題になりました。
伊藤初代さんは東京のカフェで働いていた時に川端康成と知り合いになります。その後、岐阜県の寺の養女となり、大正十年、22歳の川端康成と15歳の初代さんは婚約します。 しかし初代さんは「ある非常」を理由に婚約を破棄するのですが、その「ある非常」が未だに何なのか謎のようです。

「川端康成ゆかりの地」の石碑には由来と「篝火」の一説が彫り込まれていましたので、文章を書き起こしてみました。

『大正十(1921)年、川端康成氏は加納にある寺の養女となっている伊藤初代さんに会うために、友人とともに三度にわたって岐阜市を訪れ、 この時の体験を「篝火」「非常」「南方の火」などの短編小説に描きました。「篝火」には、結婚の約束をした幸せな二人が、長良川畔の宿の二階から、 長良川を下って来る鵜舟を見る様子が次のように書かれています。

「あ、あの篝火は鵜飼船だ!」 と私は叫んだ。「あら、鵜飼ですわ。」「ここへ流れてくるんだろう。」「ええ、ええ、この下を通りますわ。」金華山の麓の闇に篝火が小さく点々と浮かんでいる。 (中略)舳先の篝火は水を焼いて、宿の二階から鮎が見えるかと思はせる。そして、私は篝火をあかあかと抱いてゐる。焔の映つたみち子の顔をちらちら見てゐる。 こんなに美しい顔はみち子の一生に二度とあるまい。』

長良川の春から秋の夕暮れに催される鵜飼を舞台に、純粋な愛情表現も相まって、二人の幸せな情景が浮かんできます。それを阻んだ「ある非常」とは・・・

左側「川端康成ゆかりの地」とその由来

左側「川端康成ゆかりの地」とその由来

右側:「篝火の像」

右側:「篝火の像」

初代さんが川端康成宛ての手紙に書いた「ある非常」に思いを寄せつつ、更に長良川を下流に向かって長良川の橋桁の下をくぐり切ると、鵜飼乗り場があります。 夕方には観覧船に豪華な仕出しのお弁当や飲み物を積み込む為、それぞれの宿(ホテル)から船頭さん・仕出し屋さん・女中さんが出て、支度に大忙しです。 日にもよるのでしょうが本日は10数艘が準備をしています。ちなみに観覧船にもよるのですがトイレのついている観覧船もあります。 又、観覧船が川に停泊し食事する際には、トイレの専用船もあるので、お酒の大好きな方も遠慮なく飲むことが出来ます。

観覧船に仕出し弁当の積み入れ

観覧船に仕出し弁当の積み入れ

出航準備万端の豪華弁当を積んだ観覧船と長良橋

出航準備万端の豪華弁当を積んだ観覧船と長良橋

その様子を横目に更に下流に向けてウォーキングです。河川敷の野球練習場・パターゴルフ場を横切り、ウォーキングの中間点となる金華橋を渡って、今度は長良川右岸を上流に向けて歩きます。 この右岸側は一定の広さの幅が上下数キロに亘って整備されています。これは岐阜市出身のシドニーオリンピック(2000年開催)の女子マラソンで優勝した高橋尚子さんの偉業を称え、 「高橋尚子ロード」として整備されたものです。又、2011年からは「高橋尚子杯ぎふ清流マラソン」の名称で、ハーフマラソンが毎年5月に開催されています。
写真には誰も写っていないのですが、散歩・ウォーキング・ジョギング・インラインスケート、そして年齢も小学生から高齢者まで多くの人が楽しんでいます。

整備された高橋尚子ロードと、その記念碑

整備された高橋尚子ロードと、その記念碑

金華橋から見えるパターゴルフ場

金華橋から見えるパターゴルフ場

長良橋の袂を横切り更に遡ります。ここには有名な複数の温泉旅館と鵜匠さんの宿、鵜飼の歴史を学べる、「長良川うかいミュージアム」があります。 又、川向う正面の金華山頂上には岐阜城が燦然と鎮座しています。 (話はそれますが、この岐阜城から長良川で催される花火大会の大輪の花をビール片手に、金華山頂上から見下ろすのは極上のエンターテイメントらしいのですが既に数年先まで予約で満杯だとか) 観光客・釣客・遊泳・バーベキュー・鵜飼関係の方や旅館・ホテルの方等、賑やかで華やいでいる、これらの飽きない風景を見ながら、ウォーキングするのも長続きする秘訣かもしれません。
長良川は清流として有名であり、柿田川、四万十川とともに日本三大清流のひとつと言われています。写真は長良橋から上流を写したものですが、 この上流約1kmが環境庁の「日本の水浴場55選」に選定されています。表面は穏やかそうにみえるのですが、水量が多いことから流れは結構早いので、もし泳ぐのであれば、十分気を付けて下さい。

長良橋付近の風情ある遊歩道

長良橋付近の風情ある遊歩道

長良橋近辺から見える上流の風景

長良橋近辺から見える上流の風景

川岸には数隻の鵜舟が係留され、本日の鵜飼に向けて準備も始まっているようです。
鵜舟は新しくは無いようなのですが、船底は塗装もされておらず、無垢の状態のようなのですが藻やその他の汚れもなく、大切に使用されていることがわかります。

船首に篝火の仕掛けを付けた鵜舟

船首に篝火の仕掛けを付けた鵜舟

鵜舟の中央には鵜の入った籠が2つ

鵜舟の中央には鵜の入った籠が2つ

今回、ご紹介しました長良川のウォーキングコースは、四季折々の穏やかな川風や様々な風景を楽しみながら、適度に公衆トイレや自動販売機も設置してあるので、 飽きずに水分補給をしながら運動出来るので、ウォーキングする時間も苦にならず楽しむことが出来、心身のリフレッシュに役立っていると感じます。

「岐阜の長良川」と言われて思い浮かぶものは、「鵜飼」「長良川花火大会」「長良川温泉」「金華山」「岐阜城」「柳ケ瀬」等、観光地としてのイメージが幾つか浮かぶのではないでしょうか。 岐阜市内の最高峰に鎮座する岐阜城はどの方角からも日差しがきつく、素人写真では、その華麗な姿を綺麗に撮る事が出来ず、今回は掲載を断念しましたが、 鵜舟が係留されている対岸には金華山と岐阜城がウォーキングをする私達を見守ってくれています。
幻想的な鵜飼と温泉を楽しみ、翌日にはウォーキングで心地よい汗を流してみては如何でしょうか。

もしかしたら、そんな笑顔で微笑んでいるあなたと、いつかどこかで、すれ違うかもしれませんね。

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