奥飛騨だより

飛騨匠(ひだのたくみ)の技・こころ ―木とともに、今に引き継ぐ1300年―

 7月17日、東京の上野公園にある国立西洋美術館が世界文化遺産に登録されました。世界遺産はこれまで何度も耳にしたことがあると思いますが、日本遺産をご存知でしょうか。 高山市が申請した「飛騨匠の技・こころ-木とともに、今に引き継ぐ1300年」が平成28年の文化庁「日本遺産」に認定されました。日本遺産は、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語る「ストーリー」を認定するものです。この認定の違いを文化庁のホームページでは、次のように説明しています。

 世界遺産登録や文化財指定は,いずれも登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行い,保護を担保することを目的とするものです。一方で日本遺産は,既存の文化財の価値付けや保全のための新たな規制を図ることを目的としたものではなく,地域に点在する遺産を「面」として活用し,発信することで,地域活性化を図ることを目的としている点に違いがあります。

 岐阜県では平成27年に岐阜市が「信長公のおもてなしが息づく戦国城下町・岐阜」で認定を受けています。では県内二例目となった「飛騨匠の技・こころ」はどのようなストーリー仕立てになっているのでしょうか。ストーリーの概要を高山市のホームページからそのまま転載します。

 「飛騨工(ひだのたくみ)制度」は古代に木工技術者を都へ送ることで税に充てる全国唯一の制度で、飛騨の豊かな自然に育まれた「木を生かす」技術や感性と、実直な気質は古代から現代まで受け継がれ、高山の文化の基礎となっています。市内には中世の社寺建築群や近世・近代の大工一門の作品群、伝統工芸など、現在も様々なところで飛騨匠の技とこころに触れることができます。これは私たちが木と共に生きてきた1300年の高山の歴史を体感する物語です。

 奈良時代の718年に制定された法律で、飛騨国1国のみに対して税金に代え、年間100人程の技術者を派遣することが定められました。飛騨では奈良時代以前の古代寺院が14箇所以上と、全国でもまれにみる密度で確認されていて、その高い技術力が都でも認められていたのでしょう。万葉集の恋歌「かにかくに 物は思わじ 飛騨人の 打つ墨縄の ただ一道に」(あれこれと迷いはするまい。飛騨人が木材に引く墨縄の線のようにただ一筋に思おう)にも実直な仕事ぶりがみえます。爾来1300年間、木との歩みが現在も息づいていて、伝統工芸としての漆器の「飛騨春慶」、イチイの木の彫刻「一位一刀彫」、高山祭の屋台にみることができます。

ストーリーを構成する文化財は41件と数多く挙げられています。全部を回る時間が取れないので、国府(こくふ)盆地に焦点を当てて訪ねてみました。国府盆地には飛騨工制度の頃の跡地が二つ、室町時代に遡る建造物が4つストーリーに組み込まれています。

光寿庵跡

光寿庵跡

 跡地ですので建物があるわけではありません。
碑の側面には「ここより約三百メートル登った上広瀬字屋鋪一帯を光寿庵跡という。同所からは寺院関係の遺構とみられる土門や参道が発見されており、また、白鳳期の戯画瓦(県指定文化財)等が出土している。」と彫られています。
白鳳期は飛鳥時代と奈良時代の間ですので、この時代にこの山の中に寺院があったことは驚きです。

安国寺

安国寺

 安国寺の経蔵は室町時代初期の1408年に建立され、国宝に指定されています。安国寺と言えば漫画「一休さん」の舞台で、修行していたお寺だったことを思い出します。元々は室町幕府を築いた足利尊氏が国毎に建てた寺院で、現存する安国寺は全国に45あります。
経蔵とは経文を納めている蔵のことで、建物内部に八角の輪蔵(回転式ストッカー)があり、制作年代が明らかな輪蔵としては日本最古です。

熊野神社

熊野神社

 安国寺の裏手を歩いて登ったところにあり、室町時代後期の建立と言われています。

荒城神社

荒城神社

 1390年の再建ですが、平安時代の神社一覧表(927年の延喜式神名帳)には飛騨国の八座の一つとして名前が出ています。
昭和23年に神社裏の道路改修工事で、縄文時代中期の住居跡、土器、石器が発見されました。この山の中に縄文時代から人が住んでいたことにまたまた驚きです。

阿多由太神社

阿多由太神社

 「あたゆた」と呼びます。創建時期は不明ですが、荒城神社と同じ延喜式神名帳の飛騨国八座の一つです。現在の本殿は室町時代初期の建立と言われています。

 古代寺院の跡地でもう一つ「石橋廃寺」があるのですが、これは場所が分かりませんでした。この付近のはずだと思うところで住民に聞いても、知らないと言われ、残念。

中国の大陸文化とも離れたこの山間地で、当時の人は建築技術をどこで学んだのだろうか。それをどのように継承したのだろうか。平城京・平安京に単身赴任で駆り出され、苦労したのだろうな。そもそも奈良・京都の人とは言葉が通じたのだろうか。いろいろと古(いにしえ)に思いをはせた一日でした。

(参考)これまでに認定された「日本遺産(Japan Heritage)」一覧
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/ichiran.html

2016年8月号

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