奥飛騨だより

史跡江馬氏館跡公園 名勝記念特別企画イベント

2017年08月号

国の文化審議会は6月16日、神岡町の江馬氏館跡庭園を国名勝に指定するよう文部科学相に答申しました。今月は、指定見込みを受け江馬氏館跡公園にて開催されたイベントの模様をお伝えします。

江馬氏は400年~600年前の室町~戦国時代に高原郷(飛騨市神岡町・高山市上宝町)を治めていた武士で、古文書にも度々登場する飛騨における有力武将でした。そのお殿様の屋敷を復元したのが「史跡江馬氏館跡公園」で、江馬氏が支配していた神岡町内6ヶ所の山城(高原諏訪城・土城・寺林城・政元城・洞城・石神城)と合わせて1977年(昭和55年)に国の史跡に指定されました。

正門より入場

正門より入場

江馬輝盛(16代)、輝経(家祖)の肖像画

江馬輝盛(16代)、輝経(家祖)の肖像画

「史跡」「名勝」とはなんでしょうか?
人の暮らした痕跡を「遺跡」といい、古墳、集落跡、城跡、古寺の境内などの遺跡のうち、特に歴史的・学術的価値が高いとして国が指定したのが「史跡」です。 そして、庭園、橋梁、峡谷などの名勝地で国にとって芸術上・鑑賞上価値が高いとして国が指定したのが「名勝」です。
6月1日現在、国指定の史跡は1,784件、名勝は402件の登録があります。ダブル指定となりますと、岐阜県内では初となります。

接客の間

接客の間

庭を眼前に学芸員の説明を受ける

庭を眼前に学芸員の説明を受ける

この庭園が名勝になる理由として、当時の飛騨の山並みのままに景観を残していることがあげられます。学芸員の方によると、「木は植えられていなかったのか?」という質問が多いそうですが、発掘調査の結果証拠がないため植えておりません。また、水は流れていたり、溜められていなかったと考えられており、接待するお客様へは石・岩を見せていたと考えられています。
見る場所によって、奥行きや、迫力を感じさせる配置の工夫がされていることが実感できました。

会所からの眺め ★は山城「高原諏訪城跡」

会所からの眺め ★は山城「高原諏訪城跡」

会所手前の縁側からは迫力が感じられる ★は「笠松城跡」

会所手前の縁側からは迫力が感じられる ★は「笠松城跡」

 お客様の接待前には、主人の居間で重要な面談を行ったと思われます。1489年には、万里集九(ばんりしゅうく)という禅宗の僧がこちらで江馬氏の手厚い餐応(きょうおう)を受けたと、本人の日記に記録されているそうです。有事に控えて武士が見守るための納戸もありました。

主人の居間 ここで面談を行ったあとに接待

主人の居間 ここで面談を行ったあとに接待

納戸(武者隠) 武士が隠れて見守っていた

納戸(武者隠) 武士が隠れて見守っていた

ちなみに同じく神岡町内にある「神岡城」との関係ですが、この下館は室町時代の拠点、神岡城は戦国時代の拠点と考えられております。 まだ雅な生活が可能だった室町時代には、足利氏に倣い文化的な庭園を作って下館で過ごしましたが、戦国時代に入って戦いに明け暮れるようになると、他の戦国武将に倣って塀をつくり、高原川を見渡せる神岡城に移ったのではないかということです。

 なお、奥飛騨便りでは2回目のご紹介になります。前回の記事はこちら→「史跡江馬氏館跡公園」
 8月21日には子ども向けの土塀の壁塗りワークショップも開催されますので、行かれてみてはいかがでしょうか。

■史跡江馬氏館跡公園
https://www.hida-kankou.jp/spot/3172/

■江馬氏館跡庭園の名勝記念イベント
http://www.city.hida.gifu.jp/b_sougou/2017/07/post_251.html

2017年の一覧