奥飛騨だより

飛騨の縄文文化

2017年10月号

飛騨市にはいつから人が住んでいたのだろうか、どんな生活をしていたのだろうか。その疑問を今回取材しました。
飛騨市美術館で9月30日(土)から11月12日(日)まで、「石棒の聖地 塩屋を掘る 幸せを祈っていたんだ!縄文人も」の企画展が開催されています。初日には大学教授による講座があり、聞きにいってきました。

飛騨市美術館の看板

飛騨市美術館の看板

飛騨市美術館の建物

飛騨市美術館の建物

企画展ポスター

企画展ポスター

企画展のあいさつ

企画展のあいさつ

日本列島に渡来した民がこんな山深い里まで何を求めてきたか疑問でしたが、教授の説明によると、「今ある現代文明を取り除いて考えると、飛騨の地は山の幸、川の幸が豊かで、狩猟・採集の民から見れば大変住みやすい土地であった。稲作を行っていないからと言って、野蛮で生活レベルが低いことはなく、ここに芽生えた文化が日本海側、そして太平洋側に伝わり、日本の列島の中でも文化発信源の1つであった。」とのことです。飛騨市の中では沢山の遺跡が見つかっていますが、この企画展では四つを紹介しています。

沢遺跡…縄文時代早期、今から9,000~6,000年前
中野山越遺跡…縄文時代中期、今から4,500~4,000年前
島遺跡…縄文時代中期、今から4,500~4,000年前
塩屋金清神社遺跡(しおやきんせいじんじゃ)…縄文時代後期、今から3,500年前
沢遺跡は古川町の県立吉城高校(よしきこうこう)の裏山で見つかり、押型文土器(おしがたもんどき)が出土しました。押型文とは、鉛筆ぐらいの太さの3センチメートルの棒に、山形・楕円・格子目の紋様を刻み、土器の表面を転がすことで凹凸を連続してつけたものです。縄を転がせば縄文ですが、沢土器は山形押型文が主体であり、学会への報告で「沢式土器」として、東日本系押型文の最古段階に位置付けられました。つまり飛騨市以外で同じ土器が見つかったら「沢式土器が見つかった」という報告になります。東日本の中でも大変古くから人が住んでいたことが分かります。

山形押型文土器

山形押型文土器

沢式土器

沢式土器

各種土器

各種土器

土器の展示風景

土器の展示風景

 中野山越遺跡の縄文中期は人口が増加した時期に当ります。これ以前の飛騨地域で竪住居跡が30軒程度しか発見されていませんが、中野山越遺跡だけでも28軒を数えます。土器も石器も大量に出土し、北陸系・信州系・東海系と呼ばれる周辺各地域の特徴的な文様が取り入れられ、活発な交流があったことも分かっています。

さて次の島遺跡は企画展の名称にある「塩谷」の数百メートル隣りに位置し、石棒が見つかりました。島遺跡では22本見つかったのに対し、塩屋金清神社遺跡では1,074本もの数が製作され、おそらくまだ地中には千本の単位で埋まっているとのことです。島遺跡は川沿い、塩谷金清神社遺跡は山のふもとにあり、石棒製作の初期段階では水運を使って流通させることが目的で、その後流通より製作自体が目的となり、石を切り出した場所で製作できるように変わっていったと考えられます。
この石の原材料は「塩谷石」と呼ばれ、地質用語では黒雲母流紋岩質溶結凝灰岩(くろうんもりゅうもんがんしつようけつぎょうかいがん)といい、柱のように縦に割れやすいとう性質があります。これを柱状節理といいます。この石棒は男性のシンボルを似せたもので、四つの工程で作られます。

① 選別…山肌に見える塩谷石をたたき割り、柱の形で割れる石を取り出す
② 剥離(はくり)…石材の角が尖っているので、たたいてそぎ落す
③ 敲打(こうだ)…少しずつ削り丸みとくびれを作る
④ 研磨(けんま)…全面を磨いて滑らかにし、美しくする

縄文時代の平均寿命は30~40歳でした。天変地異(台風、地震、雪崩など)があれば命の保証はなく、病気になっても医者にかかることもできなく、天候不順で獲物が減れば栄養失調や飢え死が待っています。そんな危険と不安の中で、生きながらえること、命の再生を願って石棒を作ったとされています。縄文人の思い・願いが結実したものなのです。時間を掛けて作った石棒は祈りを捧げる儀式に使われたようですが、使われた後で砕いたり、焼いたあとも見つかっています。願いを込めて石棒を壊したのでしょう。

選別工程

選別工程

剥離工程

剥離工程

敲打工程

敲打工程

研磨工程

研磨工程

完成品

完成品

捨てられて役目を終えた石棒

捨てられて役目を終えた石棒

同じ形の石棒

同じ形の石棒

大量に出土した石棒

大量に出土した石棒

今回企画展を見て、「衣食足りて礼節を知る」との言葉がありますが、飛騨の地は豊潤で衣食が満たされ、石棒を作る時間的余裕があり、精神的にも豊かであったことが分かりました。この根気に丁寧に作る技術が「飛騨の匠」の技術につながったのかもしれません。

■飛騨市美術館
http://www.city.hida.gifu.jp/b_shimin/w_manabu_tanoshimu/w_bijyutukan/

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