飛騨高山端午の節句
2019年6月号
端午の節句は、全国的に5月5日の「こどもの日」ですが、飛騨地方では季節の訪れに合わせて、1ヵ月遅れの6月5日に行われます。
皆様ご存知の通り、鯉のぼりや五月人形を飾り、男の子の成長を祝う行事ですが、現在のような形になったのは江戸時代の後期からになります。
「端午の節句」は、奈良・平安朝の頃から宮廷行事として行われており、
旧暦の5月は長雨や暑気による疫病の流行や古代の中国からの影響があり忌み月とされていました。
これを取り除くために、魔除けとして香りの強い菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を家の軒に差したり、
菖蒲湯に入ったりと様々な行事が行われた事が起源になります。
私が住んでいる高山市では、6月5日の端午の節句に向けて、今年で21回目となるイベントが催されました。
スタンプラリーで景品が当たるとのことだったので、出かけてみることにしました。
高山市内の観光施設やホテル・商店など、50ヶ所近くに端午の節句の飾りが展示されており、
全てを見て回ることは出来なかったのですが、その中の一部をご紹介したいと思います。
年代物や高価そうな物まで、様々な飾りが展示されており、子供だけでなく大人も見て楽しめるようなものが多くありました。
高山市役所に展示されていた「土人形」は、飛騨高山の郷土玩具の一つです。
「端午の節句」は、江戸時代には「菖蒲(しょうぶ)」が「尚武(しょうぶ)」につながるとして、武運長久を祈る公儀の祝日となりました。
武家だけでなく町家でも、男児のいる家では飾り物をして盛大に祝いました。
各家で競って飾り付けをしたため、贅沢な飾りに対する禁令が何度も出されたそうです。
五月人形は、関西と関東で好みの違いが見られるようで、関西では応神天皇や太閤秀吉公が飾られ、
上品で温和なものが好まれていたのに対し、関東では鍾馗(しょうき)や金太郎が多く、勇ましいものが好まれていたようです。
飛騨地方では、東西の文化の影響を受けており、どちらの五月人形も見ることが出来ます。
私の子供の頃は、こどもの日が近づくと父が鯉のぼりをあげてくれましたし、
近所でも鯉のぼりをあげている家が多くありましたが、最近は見なくなりました。
近くの川でもたくさんの鯉のぼりをあげている光景もありましたが、無くなったようで寂しく思っていました。
今回、展示されているさまざまな飾りを見ることが出来て、久しぶりに童心に帰れた一日でした。
高山市公式観光サイト
http://kankou.city.takayama.lg.jp/index.html