富山県 唯一の国宝 瑞龍寺
2019年7月号
梅雨明けまでまだ先ですが、夏を感じさせる様な暑さを時折感じます。
私は、暑さにつられて夏物の服をタンスからだし、去年はこんな服を買ったなと思いかえしましたが、
皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。
今回は、富山県唯一の国宝である瑞龍寺をご紹介したいと思います。
瑞龍寺は、富山県高岡市にある曹洞宗のお寺となります。
国宝に指定されたのは、1997年(平成9年)と最近になりますが、歴史は古く1594年(文禄3年)に遡ります。
加賀藩2代目藩主(前田利長)が、織田信長・信忠らの追善のために金沢で建てた寺(宝円寺)が前身となり、
1614年(慶弔19年)利長が高岡に隠居した際に一緒に移されました。
利長が没した後、加賀藩3代目藩主(前田利常)が利長を弔うための菩提寺としました。
また利長の法名:瑞龍院に因んで寺名も瑞龍院と改名されました。(さらに、瑞龍寺と改名されました。)
瑞龍寺は中国の寺院建築を参考にして建立されました。
寺院の建物の総称を「伽藍」と言い、瑞龍寺は「総門」・「山門」・「仏殿」・「法堂」が一直線上に並んでいます。
また左側に「僧堂(僧の寝起き・座禅所)」、右側に「大庫裡(寺院の台所)」が左右対称に置かれ、
各堂が回廊によってつながれているのも特徴的となります。
瑞龍寺を参拝してきた日はあいにく曇り空でしたが、雨も降らずちょうど良い気温でした。
高岡駅南口から徒歩10分程度の場所にあり、ツアー客も大勢いました。拝観料は、500円でした。
正面の山門をくぐり回廊の中央にある仏殿には、お釈迦様が安置されております。
仏殿の外側は鉛板を使用しており、他の寺院では見られない重厚感を感じました。
内装は、天井が高く吹き抜けで、エビのように湾曲した梁がとても味のある感じでした。
参拝しに行った日は、結婚式を行っており“紋付き袴”と“白無垢”の新郎新婦がいました。
寺院で行うと「仏前式」ですが、国宝になっている瑞龍寺でそのような事も行ってくれるかと思いました。
法殿では、結婚式のため椅子が並べられ、参加者の方が集まり結婚式を待っていました。
寺院の裏手側には、織田信長のお墓があります。
前田利長と織田信長はどのような関係だったのか調べたところ、前田利長の妻は信長の娘(永姫)という事を知りました。
信長・信忠の死去後にお墓を用意する程、前田家と織田家は良い関係だったのだと思いました。
左側の回廊には「僧堂」という部屋があります。
坐禅だけを行う場合は禅堂と言いますが、食事等の修行も行う場合を僧堂というそうで、瑞龍寺は「僧堂」にあたります。
また全国で国の指定を受けている禅堂・僧堂は3つあり、1つ目は京都東福寺、2つ目は宇治の万福寺、3つ目は瑞龍寺との事でした。
国から指定を受けている1つが富山県にあるというのは、誇らしく感じました。
僧堂の近くには、「木造烏蒭沙魔明王(うすさまみょうおう)立像」がありました。
何の神様か近くの立て札を見ていると、東司(とうす=トイレ)の神様という事でした。
トイレの神様というと植村花菜さんの「トイレの神様」という歌を思い出しました。
歌の歌詞では女神様ですが、こちらでは男の神様で意外に怖い顔をされていると思いました。
右側の回廊には、「大庫裏(だいくり)」と呼ばれる食事を作る土間がありました。
ここでは、昔ながらの薪で調理を行うタイプで、後ろには沢山の薪が積まれていました。
先ほど紹介した僧堂に修行に来た方が、ここで食事を作り修行に励んでいたと思うと、
修行という行いは寺院で大仕事なのだろうと思いました。
この「大庫裏」の横には、韋駄天尊像がありました。
こちらは前田家より1655~1657年に寄進されたものという事です。
皆さんは韋駄天と聞くと、足の速い神様や「韋駄天走り」などのイメージが強いかもしれませんが、禅宗では「食の神様」とされております。
瑞龍寺では、大庫裏を守るように隣りに安置されていました。
普段は格子戸などで韋駄天尊像の顔などがよく見ることが出来ませんが、
今年はNHKの大河ドラマ「いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~」の関係で、厨子の格子戸は1年間外されております。
この韋駄天尊像の顔をよく見ることが出来ました。
今回は紹介しませんでしたが、瑞龍寺の御朱印や瑞龍寺から「八丁道」という石灯篭が続く道の先に前田利長の墓所などもあります。
前田利長の墓所は、大名個人の墓としては最大級の大きさです。
他にも、高岡大仏や高岡御車山会館などがあり、豪華絢爛な山車を見ることが出来ます。
富山(高岡市)によられた際は、足を運んでみてはいかがでしょうか。
【瑞龍寺公式HP】
http://www.zuiryuji.jp/